寄り添う

安楽死と尊厳死

最高裁は有罪だった。
家族の意志を確認して気管チューブを抜いたところ激しい痙攣がおき筋弛緩剤の注射を打った医師に対して。

女医は地域医療に貢献している。
自宅で寝たきりの患者さんの往診に夜中でも駆けつける。

尊厳死協会に入会した両親。
わたしの義父の介護の様子を見守っているうちにその気になったようだ。
患者が認知症や昏睡状態で意思を表明できなくなったとき付き添う家族は悩み続けるし家族の中でも意見が別れる。
その時々で気持ちは揺れ動き正解不正解はない。

尊厳死を表明することは自らの死によって感謝であるならまだしも一生懸命尽くしてくれた医療者に対して「裁判を起しません。」との患者本人の意思表明でもあるのではとわたしはふと思った。

この裁判によって医師免許剥奪ということが起これば医療者は最高のおせっかいでなくてはいけないという信念を持つことはもはやできなくなる。

飲み収め

来週の月曜日に人間ドッグを受けるので取り合えず今週は今日で飲み収めを決心しました。
家事に精を出し近所を散歩をして健康的に過ごします。

婿さんが昨夜から圧力鍋で煮込んでいた味噌おでんにわたしはとっておきの濁り酒をもってお呼ばれです。
「近所の居酒屋さん(味噌おでんで有名)よりも美味い!
これからはへい大将と呼ばなくちゃ。」


最近何のために生きているかなんてどうでもよくなりつつあります。
ただ生きているだけが偉いのです。
それが寿命というものかも。
義父の尊厳を考えていた時期のわたしは傲慢でした。
認知であることはあきらめることとは無縁でひたすら生きることに貪欲です。
痛いと顔をしかめる義父の膝をさすっているといつのまにかすーすー寝息をたてます。
今を生きるやさしい時間です。

一進一退

義父の入院生活は三院目になった。

三人の主治医に関わってきてその対応の違いに驚いている。
そしてその医師の医療がそのまま看護師にも浸透している。
同じ環境で働くと似てくるのだろう。

高齢の義父に治療は望んでいない。
少しでも穏やかに過ごせる対応だけを望んでいる。
家族を見かけると必ず病室までこられて病状やねぎらいの言葉をかけてくれた医師もいた。
もちろん認知の父にも丁寧に対応していただいた。
「○○さんは幸せですね。
いつも家族が来られて。」

先日、義父の病状を聞こうとしたらこう言われた。
「もっと勉強をして的確な質問を前もって知らせてください。
必ず一度で済むように予約をとって調整してください。」
廊下ですれ違ってもこちらが頭を下げるだけだ。

名医がいるとしたらそれは技術者ではなく、人格者だと思っている。

祭りの後

家族の集まるお盆。
単身赴任のツレアイさんも県外で自立している次女も元気な顔を見せてくれました。
体は正直で無理したくて無理してたんだけど、でも気持ちは妙に落ち着いています。

さ?て、かーくんとひいじいちゃんの病院通いをしながら夏休みの最後を過ごします。
(朝顔の花の絵はなんとか描けたけど種の絵がまだなんだよね。間に合うか!)

手紙?親愛なる子供たちへ?

子育ても介護もいい加減に面白くて愛しい。
育ててもらったように・・・。
息抜きしながら・・・。

お家に帰ろうね

最近病院の相談室に入り浸っている。

素人には先が読めない。
だからその時々で右往左往する。
「眠らせる薬も拘束ですよ。」
そう言われてはっとした。
ベットに縛り付けてるのと一緒だ。

皆既日食と新月に願った。
お父さんのお家に帰ろうね。


追記

一泊だけど父を家に連れて帰ることが出来た。
時折家だということがわかるけれどすぐに家に帰りたいとせかす。
ツレアイさんの帰省に合わせて義妹夫婦と父の好物を用意し、わがままをすべて聞き入れ(四時ごろ起きだし車椅子で散歩して五時半の朝食)まるでお殿様。

介護は積み重ねだと最近思う。
その時はわからなくても何かを感じとってくれる気がする。
まりりん

まーちゃん

月別アーカイブ
タグクラウド
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ