久しぶりに妄想が膨らんできた。
誰かの心にちょっとでも響けばうれしい。
*****
わたしは29歳。
八年付き合っているコイビトがいる。
最近、母親は顔を合わすたびに「どうするの。」とせっつく。
せっつかれてもコイビトにその気がないのだからどうしようもない。
もちろんわたしはいつでも準備OKなのだけど。
コイビトとの出会いは高校二年生の時に遡る。
オサナナジミに誘われてサッカー部のマネージャーになった。
わたしを誘ったオサナナジミは憧れの先輩狙いだったのだけどさっさと告白し「受験に専念したいから。」なんて断るセリフ一番の返事と共に撃沈しさっさと辞めてしまった。
オサナナジミは昔からそうなのだ。
勝手に盛り上がりわたしを巻き沿いにして気がつくとわたしは取り残される。
だからと言ってわたしには辞める動機も辞める勇気もなく切のいい時期までずるずると居座るのだ。
ただオサナナジミに導かれたその空間が案外わたしに合っていて居心地がいい。
小学校三年生のときのそろばんもそうだった。
オサナナジミは一年もしないうちに三級になり辞めてしまった。
わたしはなかなか進級せずにそれがよかったのかシンとした中のパチパチとそろばんをはじく音が心地よく六年生まで続いてしまった。
中学生になっても続けてもわたしは一向に構わなかったのだけど先生の方から「忙しくなるものね。」と暗黙の了解のように卒業となったのだ。
おかげで暗算だけは得意になり職場の飲み会などの割り勘の会計係として人様のお役に立っているのだからオサナナジミに感謝しなくては。
中学生になるとオサナナジミはまたわたしを誘った。
吹奏楽部に入部したのはいいけれど譜面が読めず当時は背も高かったそれだけの理由で打楽器になった。
オサナナジミはフルートの座を獲得していた。
それをうらやましいとは思わなかったけれど、コンクールに出場となればわたしは大荷物を持ち、公共交通機関に乗ればすごく迷惑そうな顔をされた。
案の定オサナナジミは夏の合宿の頃には猛練習が辛くなりさっさと辞めてしまった。
フルートのパートはひしめいていたのですんなりと受け入れられた。
ただ打楽器は不人気で三年生のぱっとしない先輩と二人で暗く練習をし、その後は希望者がいないのでわたしは唯一の奏者になるのだ。
コイビトとの出会いに話を戻そう。
高校二年生の春、わたしはサッカー部のマネージャーとして新入部員勧誘のチラシを作りそれを配ることになった。
マネージャーになったものの誰にもときめくことはなく、部室のむっとする汗臭さも気にもならず、どちらかというとその臭いこそが青春だと深呼吸していたことは秘密だ。
そんなわたしについに春が来た。
「サッカー部で~す。お願いしま~す。」とチラシを配っていたのだけれど、本当にサッカー部に入部したい子は入学前の春休みから練習に参加していた。
だから誰もわたしの勧誘に期待しているわけでもなく、わたしも責任感に押しつぶされることなく平然としていた。
その一分前までは。
松田聖子じゃないけれどビビッとくることって本当にある。
チラシを配ってもしぶしぶ受け取ってくれればいい方で、ほとんどは無視される。
かわいい子が配っているならまだしもショートカットで真っ黒でセイラー服を着ているからどうにか女だと思ってもらえるのだから仕方がない。
それまでの十七年間の人生で世の中は理不尽だと悟っていたからそんなことでめげたりはしない。
「ありがとう。」
そうコイビトは言った。
「え?」
驚いたのはわたしの方だ。
「サッカー部に入部すれば先輩に毎日会えるんですよね。」
わたしはその一言で舞い上がってしまった。
その事を何年か後再会したときに聞いたけれど覚えていないと言う。
「きっとその時はそう思ったからそう言っただけで、思っていないことは言わないよ。」
なんてセリフをさらっというのがコイビトだ。
もちろんコイビトになったのはもっと後のことでその時は清く正しい先輩と後輩の関係だった。
コイビトはとにかくもてた。
すべての学年の女子のアイドルになってしまったのだ。
だからと言って誰と付き合うわけでもなく、そのそっけなさに好感がもてた。
当時のわたしは「センパ~イ」と慕ってくれるだけでただ嬉しかった。
そしていつもパンと牛乳でお腹をすかしているコイビトにわたしは母親に頼んでお弁当を二つ持っていくようになった。
ちょうどその頃父親が単身赴任になり、母にとっては食べてくれる相手が代わっただけでたいした影響はなかったのだ。
父の時は接待があったりでそのままで持って帰ってくることもあったのが米粒一つ残さずに「ごちそうさま。」と手紙が添えられていたりするので張り合いがあるのかわたしのお弁当よりもうんと豪華になっていった。
直接渡さず朝練の部室のロッカーで受け取り放課後の練習で戻せばいいだけだから誰にも見咎められることもなく二人だけの秘密がうれしかった。
再会したのは大学三年生のとき。
合コンに誘ったのはもちろんオサナナジミ。
わたしは合コンなんかにホイホイ参加するタイプでは決してない。
人数合わせのしかもピンチヒッターで拝み倒されたのだ。
「センパイ?」
なんとそこにコイビトがいた。
合コンどころではなく高校を卒業してからの話に夢中になった。
「お母さんのお弁当めちゃくちゃおいしかったです。」
「今度食べに来る?」
そう思わず言ってしまった。
それからいつの間にか我が家の食卓にはコイビトの姿があった。
その頃には父も赴任先から戻り酔っ払っては
「就職の世話もしてやる。養子に来い。」が口癖になった。
コイビトはいつも笑って「ありがとうございます。」と礼儀正しく挨拶をし、母親にも「ごちそうさま。おいしかったです。」の言葉を必ず添えた。
就職してもコイビトは相変わらずもてる。
飲み会だと言えばわたしは心配で必ず車で送るし、一年前からはコイビトのワンルームマンションで押しかけ同棲もしている。
両親は29歳の一人娘の心配はもはや結婚するかどうかで同棲の心配などしていない。
相変わらず礼儀正しいコイビトだけど結婚の話には乗ってこない。
「三十までに子供が産みたいな。」
わたしはあえて結婚の二文字を出さずにそう言っても笑っているだけだ。
先日母に言われた。
「婚約者でもないのにずうずうしくない?」
コイビトも母の態度がおかしいことに気がついているみたいだけれどわかっていない。
「お母さんいらいらしているみたいだけれど更年期だと心配だね。」
コイビトは相変わらず穏やかでやさしくて礼儀正しいしけれどどこかしっくりしないことにさすがのわたしも気がつきだした。
夕食に誘うから彼は来るだけだし、コイビトのマンションに入り浸っているのはわたしの方だ。
わたしが好きになってコイビトはそれを拒まないだけなのだ。
たぶんわたしは頭ではもうわかっている。
ただ心がまだそれを認めようとしないだけだ。
このままを望めばずっとこのまま続くだろう。
わたしはコイビトが好きで心配でそれが心地いいはずだった。
そろそろ卒業かな。
それでも12月のエイプリルフールがあってもいいのにとまだどこかで思っている。
誰かの心にちょっとでも響けばうれしい。
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わたしは29歳。
八年付き合っているコイビトがいる。
最近、母親は顔を合わすたびに「どうするの。」とせっつく。
せっつかれてもコイビトにその気がないのだからどうしようもない。
もちろんわたしはいつでも準備OKなのだけど。
コイビトとの出会いは高校二年生の時に遡る。
オサナナジミに誘われてサッカー部のマネージャーになった。
わたしを誘ったオサナナジミは憧れの先輩狙いだったのだけどさっさと告白し「受験に専念したいから。」なんて断るセリフ一番の返事と共に撃沈しさっさと辞めてしまった。
オサナナジミは昔からそうなのだ。
勝手に盛り上がりわたしを巻き沿いにして気がつくとわたしは取り残される。
だからと言ってわたしには辞める動機も辞める勇気もなく切のいい時期までずるずると居座るのだ。
ただオサナナジミに導かれたその空間が案外わたしに合っていて居心地がいい。
小学校三年生のときのそろばんもそうだった。
オサナナジミは一年もしないうちに三級になり辞めてしまった。
わたしはなかなか進級せずにそれがよかったのかシンとした中のパチパチとそろばんをはじく音が心地よく六年生まで続いてしまった。
中学生になっても続けてもわたしは一向に構わなかったのだけど先生の方から「忙しくなるものね。」と暗黙の了解のように卒業となったのだ。
おかげで暗算だけは得意になり職場の飲み会などの割り勘の会計係として人様のお役に立っているのだからオサナナジミに感謝しなくては。
中学生になるとオサナナジミはまたわたしを誘った。
吹奏楽部に入部したのはいいけれど譜面が読めず当時は背も高かったそれだけの理由で打楽器になった。
オサナナジミはフルートの座を獲得していた。
それをうらやましいとは思わなかったけれど、コンクールに出場となればわたしは大荷物を持ち、公共交通機関に乗ればすごく迷惑そうな顔をされた。
案の定オサナナジミは夏の合宿の頃には猛練習が辛くなりさっさと辞めてしまった。
フルートのパートはひしめいていたのですんなりと受け入れられた。
ただ打楽器は不人気で三年生のぱっとしない先輩と二人で暗く練習をし、その後は希望者がいないのでわたしは唯一の奏者になるのだ。
コイビトとの出会いに話を戻そう。
高校二年生の春、わたしはサッカー部のマネージャーとして新入部員勧誘のチラシを作りそれを配ることになった。
マネージャーになったものの誰にもときめくことはなく、部室のむっとする汗臭さも気にもならず、どちらかというとその臭いこそが青春だと深呼吸していたことは秘密だ。
そんなわたしについに春が来た。
「サッカー部で~す。お願いしま~す。」とチラシを配っていたのだけれど、本当にサッカー部に入部したい子は入学前の春休みから練習に参加していた。
だから誰もわたしの勧誘に期待しているわけでもなく、わたしも責任感に押しつぶされることなく平然としていた。
その一分前までは。
松田聖子じゃないけれどビビッとくることって本当にある。
チラシを配ってもしぶしぶ受け取ってくれればいい方で、ほとんどは無視される。
かわいい子が配っているならまだしもショートカットで真っ黒でセイラー服を着ているからどうにか女だと思ってもらえるのだから仕方がない。
それまでの十七年間の人生で世の中は理不尽だと悟っていたからそんなことでめげたりはしない。
「ありがとう。」
そうコイビトは言った。
「え?」
驚いたのはわたしの方だ。
「サッカー部に入部すれば先輩に毎日会えるんですよね。」
わたしはその一言で舞い上がってしまった。
その事を何年か後再会したときに聞いたけれど覚えていないと言う。
「きっとその時はそう思ったからそう言っただけで、思っていないことは言わないよ。」
なんてセリフをさらっというのがコイビトだ。
もちろんコイビトになったのはもっと後のことでその時は清く正しい先輩と後輩の関係だった。
コイビトはとにかくもてた。
すべての学年の女子のアイドルになってしまったのだ。
だからと言って誰と付き合うわけでもなく、そのそっけなさに好感がもてた。
当時のわたしは「センパ~イ」と慕ってくれるだけでただ嬉しかった。
そしていつもパンと牛乳でお腹をすかしているコイビトにわたしは母親に頼んでお弁当を二つ持っていくようになった。
ちょうどその頃父親が単身赴任になり、母にとっては食べてくれる相手が代わっただけでたいした影響はなかったのだ。
父の時は接待があったりでそのままで持って帰ってくることもあったのが米粒一つ残さずに「ごちそうさま。」と手紙が添えられていたりするので張り合いがあるのかわたしのお弁当よりもうんと豪華になっていった。
直接渡さず朝練の部室のロッカーで受け取り放課後の練習で戻せばいいだけだから誰にも見咎められることもなく二人だけの秘密がうれしかった。
再会したのは大学三年生のとき。
合コンに誘ったのはもちろんオサナナジミ。
わたしは合コンなんかにホイホイ参加するタイプでは決してない。
人数合わせのしかもピンチヒッターで拝み倒されたのだ。
「センパイ?」
なんとそこにコイビトがいた。
合コンどころではなく高校を卒業してからの話に夢中になった。
「お母さんのお弁当めちゃくちゃおいしかったです。」
「今度食べに来る?」
そう思わず言ってしまった。
それからいつの間にか我が家の食卓にはコイビトの姿があった。
その頃には父も赴任先から戻り酔っ払っては
「就職の世話もしてやる。養子に来い。」が口癖になった。
コイビトはいつも笑って「ありがとうございます。」と礼儀正しく挨拶をし、母親にも「ごちそうさま。おいしかったです。」の言葉を必ず添えた。
就職してもコイビトは相変わらずもてる。
飲み会だと言えばわたしは心配で必ず車で送るし、一年前からはコイビトのワンルームマンションで押しかけ同棲もしている。
両親は29歳の一人娘の心配はもはや結婚するかどうかで同棲の心配などしていない。
相変わらず礼儀正しいコイビトだけど結婚の話には乗ってこない。
「三十までに子供が産みたいな。」
わたしはあえて結婚の二文字を出さずにそう言っても笑っているだけだ。
先日母に言われた。
「婚約者でもないのにずうずうしくない?」
コイビトも母の態度がおかしいことに気がついているみたいだけれどわかっていない。
「お母さんいらいらしているみたいだけれど更年期だと心配だね。」
コイビトは相変わらず穏やかでやさしくて礼儀正しいしけれどどこかしっくりしないことにさすがのわたしも気がつきだした。
夕食に誘うから彼は来るだけだし、コイビトのマンションに入り浸っているのはわたしの方だ。
わたしが好きになってコイビトはそれを拒まないだけなのだ。
たぶんわたしは頭ではもうわかっている。
ただ心がまだそれを認めようとしないだけだ。
このままを望めばずっとこのまま続くだろう。
わたしはコイビトが好きで心配でそれが心地いいはずだった。
そろそろ卒業かな。
それでも12月のエイプリルフールがあってもいいのにとまだどこかで思っている。