つぶやきまりりん

「何とかなる。それはやることをちゃんとやってる人のセリフ。」ミイ

きょうのできごと、10年後

十数年前に観た映画。
大学卒業の年、社会人だったり大学院だったりまだ模索中だったりそれぞれの進路に希望と不安を抱えていた。
引越し祝いに集まる男女はみんな酔っ払っていた。
テレビの今日の出来事はビルに挟まれた男と打ち上げられたクジラ。
そして10年後、カフェの何周年かのパーティーに再び集まる。
同じ役者さんで映画化されたらステキだなあ。

わたしの10年前。
50歳を目前にしてなんとも平和な日々を過ごしていた。
子供たちも成人してもまだ学生だったり他県に就職したり、働くママになったりで子供たちのお弁当作りを卒業した年だ。
そして今は還暦前の自由な日々を過ごしている。
ただし家人のスイッチが入らないようにとの緊張感はつきまとう。
これでも40年前は短大を卒業する年で遠距離が決まっていたので一分一秒でも早く会いたくて離れていても電話の声が聞きたかったし顔を見ているだけでどきどきしていた。

きょうのできごとのまきちゃんと中沢くんは10年前からひっついたり離れたり、ふたりを引き合わせたけいとはあえてしらんぷりをしながら酔っ払って相変わらずかわちくんに絡んでいるし、いい人の正道くんはやっぱりいい人だ。
それがさみしくもあるけれど、さみしくていいんだと気がついてしまう。
年月は女を強くしなやかにしていく。
この先の10年後はどうなっているのだろう。

最近のできごとは先日息子が30歳になった。
ラインでおめでとうと送ったらありがとうとその日のうちに返信がきた。
それがうれしかった。
次女が今月末に入籍をする。
郵送する戸籍抄本を取りに行ったら係りの方におめでとうございますと言われてうれしかったけどうるっときた。
長女から年中の孫の運動会の動画が送られてきた。
隣の子とにこにこしながらずっと顔を見合わせて踊っている。
その隣の子は地面にお絵かきをしている。
小猿のようにじゃれあい気が向かなければそれも許される環境はきっと宝物になる。
今日は乗らないお友達の気持ちに踏み込まないやさしさが頼もしい。
母は好奇心の向くままに歩き夜中に足がつってトイレに行くことができなかったと落ち込んでいた。
いただいてきた御朱印を見せてもらいながらお出かけできてよかったねとわたしは言った。

家族の用と遊ぶために仕事に行くことができるきょうのできごと。
それこそが教養(今日用)と教育(今日行く)だそうです。

舞台

61aL1irqt7L__SX351_BO1,204,203,200_

ひりひりする小説が好きだ。
葉太はお坊ちゃまだ。
自意識過剰だと一言で言えばすんでしまいそうだけどそんな悩みを抱えてきた。
子供の頃祖父の葬儀で祖父の亡霊が見えてそれが恐くて泣いたのが父にはいい孫を演じているかのように取られる。
父とて作家として演じてきたのだ。

時々演じていると感じる瞬間がある。
それをどこからか見ているもう一人の自分。
そのひりひりとする感覚が嫌いではない。
物事には超えてはいけないラインがある。
浮かれているとつい調子に乗ってしまう。
出しゃばらず卑屈にならずがいい。
だから相手が演じている時はあえて気付かないようにしている。
それを指摘されるのが何よりも恥ずかしいわたしだから。

父の遺産でニューヨークに旅立った葉太。
大好きな作家の新刊「舞台」をセントラルパークで寝転んで読みたいと思っていた。
それは叶わなかったけれど病床で父が読んでいた「地球の歩き方」をなぞって歩いていた。

出かける時には文庫本を一冊リュックに入れる。
老眼になってからは三種類の眼鏡が必要になった。
運転用(お出かけ用)に仕事用(パソコン用)に読書用。
そのために三種類持ち歩くのも面倒だから文庫本はお守りになりつつある。
無事に帰路に着いてから読むのだから持ち歩かなくてもいいと思いながらも10代の頃からの習慣はやめられない。

本屋さんにサラバ!の文庫本が平積みされていた。
もう一度読みたいしずっと手元に置きたい。
記念日に買っちゃおう。

悪声

51BgfcvcNpL__AC_UL320_SR222,320_

なにかは廃寺のコケの上にそっと置かれた赤子だった。
なにかがええ声で泣くと時空を超えて白いスリッパを履いた女が舞い降りる。
左の乳を含ませると満足して眠りに着く。

なにかはええ声の少年になりその歌声には景色がみえるようだ。
でもある日「目立とうとすんな」と言われてしまう。
才能はそんな簡単な一声で縮んでしまうのだ。

奇縁という言葉が出てきた。
奇跡なのか奇妙なのか奇遇なのか妙にその言葉が気になった。
血縁が縦の関係だとすれば奇縁は横の関係であり斜めの関係でもありそうだ。
奇縁は時空を超えて生き物も越えて惹かれあう。

飛び降りてみないとなにもはじまらない。
そこで事尽きるのかそこからまた風景が聞こえてくるのか。

「いわし雲」という名前の犬が出てくる。
いい名前だなあ。

遠足は玄関で靴を脱ぐまでがえんそく。
いしいしんじの小説がまだ駆け巡っている。

女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと

bookfan_bk-4041049784

西原さんが好きだ。
品はないけど好きだ。
反抗期の娘さんに贈る本はわたしの言いたいことであふれている。

「ありがとうとごめんなさいが言えれば人生渡っていける。」
「選びたいものが二つあったら、二つとも選んでいいんだよ。ただしバランスが大切。」
「嫌なら戦わずに逃げるのが勇気だよ。」
「自分で欲しいものは自分で働いて買おう。」
わたしはそう子育てしてきたし自分でも実践してきた。
わたしには自慢することなんてないけれどそれだけは胸を張って言える。

西原さんは母親は元カレだと心得るべしとおっしゃっています。
新しい彼ができたら元カレは鼻くそ。
手を振り払って歩きだそうとしているのに母親が心配だからと止めるのは存在意義を示したいだけ。
うざい元カレではなく万一傷ついて戻って来た時は、優しく迎えてあげればいい。
くれぐれもすがるべからずです。

かもちゃん(西原さんの元夫)はアルコール依存症だった。
壮絶な子育てをしてきた西原さんは依存症の人からは逃げてと言う。
借金してまでパチンコするのはギャンブル依存症。
飲酒運転をする人はアルコール依存症。
浮気を平気でする人も暴力を振るわなくても生活費を渡さない人も立派なDVだ。
話し合いで解決できるものではなくむしろ話し合いという名目で指導してやってると暴言を吐き続けられることになる。
だから逃げるための軍資金は自分で稼がなくてはいけない。

母と娘はだんだん似てくる。
情が深くて意地っ張りだ。
自分で考えて自分で選ぶ。
夢は簡単には叶わない。
転んでもすくっと立ち上がりそれが経験になっていく。
泣くのは優しい人のありがたみが心に染みるときだけでいい。

追記
隣県で女子大生の事件があった。
母性が芽生えるから悩んで当然だけど刻々と時間は過ぎる。
優しくて期待された女の子ほど親を悲しませたくないからと自分だけでなんとかしようとする。
親は世間体なんてどうでもいいし順番なんかどうでもいい。
むしろ祝福されるべきことだと認識を変えて欲しい。
王子様は変わるし壊れることもある。
だから無職で母親だけにはなってはいけない。
そのためには学歴も資格も大切だ。

娘が休学を願い出たときに学長が「おめでとう。待ってるからね。」と言ってくださった。
わたしはまだおめでとうと言ってなかったことに気付かされた母親だった。

波の塔と氷壁

頼子は西湖の樹海を歩いている。
静かである。
対岸が茶褐色の溶岩だった。
樹林がその上に立ちそこから裾野の方まで果てしなく海のように広がっていた。
湖面は波一つなかった。
これほど孤独な湖を見たことがない。
正面の富士山は太古のままの火山だった。
(どこにも行けない道ってあるのね)
その静かな湖を見続けるうちに、急に湖面が罅のように割れてその底からぼんやりしたものが瞬間にのぞいたように思った。
この湖底に、白い塔が建ってるようだった。

わたしに白い塔が見えるだろうか。
波の塔はわたしが生まれた頃に書かれた松本清張の作品だ。
本屋さんでは見つけることが出来なかった。
もはや古典の分類にはいるそうだ。
図書館で予約するとすぐに回ってきた。

新人検事小野木は頼子に翻弄される。
人妻であり美しく上品ではあるが同性の目からは「けっ」でしかない。
夫には二人の愛人がいてその寂しさから誘惑しただけだ。
別れてくださいといいながら家を出る気も働く気もない。
被疑者になった夫の策略で新人検事は社会的に失脚される。
失脚した小野木との人生をやり直すならわかるけれど頼子は樹海へ向かう。

今年中に樹海を歩くのが目標だ。
そこには何があるのだろう。
それを確かめたい。
映画もお山もなぜか本が読みたくなる。
そのイメージとそこに立ったことでシンクロする風景に出会いたい。


徳澤園まで歩いた時に氷壁の宿と看板が出ていた。
波の塔同様に中学生の頃全集で読んだはずだけれど記憶にない。
一緒に歩いた方と読みましょうと約束していた。

小さな赤い点だけだったのでほっておいたら一週間経って刺された後が猛烈に痒くなってきた。
軟膏を塗っているけれどなかなか治らない。
(後日気がついた。温泉のあと浴衣に下駄履きで水辺に蛍を見に行ったんだった。)

井上靖の氷壁もわたしの生まれた頃の作品だ。
そこにも登山家魚津を魅了する人妻の美那子が出てくる。
その魚津に憧れる親友の妹かおるの存在もある。
昭和の社会派の文豪はたまたまなのか設定が似ている。
かおるは徳沢園で新穂高から雄滝雌滝そして穂高小屋から降りてくる魚津と待ち合わせをする。
そして遭難したのではと心配して涸沢を登る。

15分ほど樹林地帯を歩くと新村橋に出る。
その橋を渡らずに梓川の左岸にそって上流を遡る。
押出に出たら石の原で小休止。
断崖の横腹に造られた桟動を通り脱けそこから20分ほどで横尾にでる。
30分ほど樹林地帯を歩くと渓流に変わり屏風岩は偉容を現す。
さらに30分ほどで本谷の出合に到着。
大きな石がごろごろした急傾斜の道が上へ上へと伸びている。
出合を出て2時間、涸沢のヒュッテの建物の一部が丘の上に見え始める。
ヒュッテは北穂、奥穂、前穂に囲まれた盆地の真ん中にある。
その峻厳な穂高連峰に一瞬見惚れる。

一度目の上高地はバスターミナルから徳沢までを歩いた。
九月はその先の涸沢まで歩き続ける。
涸沢の山小屋で泊まり翌日はまた上高地まで戻る。
師匠という案内人に迷惑をかけないようにと気持ちだけは前向きだ。

井上靖も舞台になる山を登ったのだろう。
人の見ていないところで正直であることが山を登る資格なのだ。
お山にあるものはどんなに小さなものでも持ち去ってはいけない。
拾っていいのは人が持ち込んだものだ。
むしろ人のものを残してはいけない。
(お知り合いとお山の話で盛り上がっていたらドリップコーヒーなんぞでベテランぽいのにカップ麺のスープを捨てている人に遭遇したそうだ。)

上高地で熊除けの鈴を買ってきた。(熊さんの首が伸びて消音もできる)
お山に入る時に「お邪魔します。私も近づきませんから熊さんも近づかないでね。」という意味があるらしい。
きれいな音色に惹かれませんように。
yjimage

まりりん
月別アーカイブ
タグクラウド
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ