つぶやきまりりん

「何とかなる。それはやることをちゃんとやってる人のセリフ。」ミイ

君たちはどう生きるか

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本屋さんでたくさんのコペルくんと目があってしまった。
これが噂のコペルくんかと。

コペルくんはもちろんコペルニクスからきている。
中学生のコペルくんは友達関係で自分のふがいなさに悩んでいた。
それに答えたおじさんのノート。
八十年前の小説を知らなかった。

傷ついたことで人は初めて心の痛みを知る。
最初は自分を責め、自分を傷つけた相手を責め、そしてそれが時とともに昇華されたときにやっと成長する。
痛みを知ってる人は受け止めてくれる優しさと辛抱強さと何よりも正直だ。
口先だけのアドバイスにはそれがない。
わたしもまだまだ知らないことがたくさんある。
それを経験して乗り越えて誰かを支えれる生き方ができるといいなあ。


雪の舞う大阪女子マラソン。
歴代の女神たちが解説する豪華さ。
そして新しい女神を称える。
新しい女神は底抜けに明るく、バキバキにストイックでそして給水出来なかったライバルにそっと渡した時感動してしまった。
ちゃんと周りも見てるんだなあと。
三人娘はそれぞれのフォームで走り抜けた。

大阪の友達から寒いけど大丈夫とラインが来た。
母も心配して電話をくれた。
「〇〇したいんだけどいいかな。」とわたしが聞くから
「それはおかしい。」と否定や批判しか返ってこなかった。
「〇〇するね。」「〇〇してね。」と言うようにした。
まだちょっと慣れないから努力している。
二人のオカンに「温かいリビングでマラソン見てるよ。」と返事をした。

怒る富士

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富士吉田にある浅間神社には木花咲耶姫が祀られている。
富士山の女神は1707年(宝永四年)に怒ったという。
そして美しい富士山に宝永山というこぶが出来た。
日本人は大昔から天災に翻弄されてきたのだ。
そして天災が人災を引き起こす。
天災は時として人の心を試す。
いまだに原発がなぜ稼動しているのか。
被災地は亡所となり飢餓状態の人よりも大奥の改修が大事だった300年前と何も変わっていない。
それでも伊那半左衛門忠順が奮闘したことを忘れずにいよう。
私利私欲ではない行動は後に人の心を動かした。
伊那神社には富士山すそ野の民と幕府との板ばさみになって切腹した半左衛門が祀られている。
そして生きるためにすそ野を出たおことさんとつるさん。
彼女たちこそ一途な愛を貫いた木花咲耶姫だとわたしは思う。
この本を薦めてくれたガイドさんとおことさんを語りたい。
彼女たちも見たであろうすそ野からの富士山が好きだ。

伊那神社ではないけれど伊奴神社にまだ行けていない。
映画館に美術館に街歩きもそろそろ始動したい。
年末年始の激務もちょっと落ち着いてきた。
お休みは朝からダメ出し・・・。
ああ、お山が恋しい。

美しい距離

美しい距離って難しい。
どちらかというとべたべた過ぎるのは苦手。
近すぎず離れすぎず黙って見守ることを肝に銘じている。
ただしお願いと言われればすぐに駆けつける。
それがわたしの美しい距離。

山崎ナオコーラさんは父親の介護と育児を経験してこんなステキな本を書いた。
40代の妻にある日癌が見つかった夫は職場に時短勤務を申請する。
(男性が介護や育児で三ヶ月間の休みや時短を取れるようになったのはすごくいいことだと思う。
ただしそれは権利ではなくその分を誰かがフォローしていることも自覚して素直な気持ちが伝われば反対に頑張ってとおせっかいすらやきたくなる。)
病院に行くとそこには妻の母もきていて「ありがとうございます。」とお礼を言われる。
親が子供を心配するのは当たり前だけど夫が妻を心配するのも当たり前なのにと素直に受け止めれない。
もしわたしが婿さんにお礼を言われたらこちらこそありがとうと言おう。
ちょっと他人行儀な関係こそ美しい距離なのかもとナオコーラさんに教えられた。

介護は長丁場だから逃げることなく淡々とが大事なような気がする。
こちらがよかれと頑張っても病人には病人の気持ちがあるし認知になれば病気の自覚がないから治療も苦痛でしかない場合もある。
家に帰りたいと病床で暴れる義父を家に連れて帰ったけれど家に帰りたいともっと混乱した。
義父にとっての家は現実の家ではなく家にこだわっていたのは私の方だったと思った。
「そうね。もうちょっとしたら一緒に帰ろうね。」とだけ言い続ければよかった。
そして血の繋がりのない嫁は義父母が滞りなく旅立てばその瞬間に蚊帳の外におかれるのを知った。

八十代半ばの両親の介護がこれから待っている。
それが終わるまで心身ともに健康な娘でいたい。
美しい距離」で。

きょうのできごと、10年後

十数年前に観た映画。
大学卒業の年、社会人だったり大学院だったりまだ模索中だったりそれぞれの進路に希望と不安を抱えていた。
引越し祝いに集まる男女はみんな酔っ払っていた。
テレビの今日の出来事はビルに挟まれた男と打ち上げられたクジラ。
そして10年後、カフェの何周年かのパーティーに再び集まる。
同じ役者さんで映画化されたらステキだなあ。

わたしの10年前。
50歳を目前にしてなんとも平和な日々を過ごしていた。
子供たちも成人してもまだ学生だったり他県に就職したり、働くママになったりで子供たちのお弁当作りを卒業した年だ。
そして今は還暦前の自由な日々を過ごしている。
ただし家人のスイッチが入らないようにとの緊張感はつきまとう。
これでも40年前は短大を卒業する年で遠距離が決まっていたので一分一秒でも早く会いたくて離れていても電話の声が聞きたかったし顔を見ているだけでどきどきしていた。

きょうのできごとのまきちゃんと中沢くんは10年前からひっついたり離れたり、ふたりを引き合わせたけいとはあえてしらんぷりをしながら酔っ払って相変わらずかわちくんに絡んでいるし、いい人の正道くんはやっぱりいい人だ。
それがさみしくもあるけれど、さみしくていいんだと気がついてしまう。
年月は女を強くしなやかにしていく。
この先の10年後はどうなっているのだろう。

最近のできごとは先日息子が30歳になった。
ラインでおめでとうと送ったらありがとうとその日のうちに返信がきた。
それがうれしかった。
次女が今月末に入籍をする。
郵送する戸籍抄本を取りに行ったら係りの方におめでとうございますと言われてうれしかったけどうるっときた。
長女から年中の孫の運動会の動画が送られてきた。
隣の子とにこにこしながらずっと顔を見合わせて踊っている。
その隣の子は地面にお絵かきをしている。
小猿のようにじゃれあい気が向かなければそれも許される環境はきっと宝物になる。
今日は乗らないお友達の気持ちに踏み込まないやさしさが頼もしい。
母は好奇心の向くままに歩き夜中に足がつってトイレに行くことができなかったと落ち込んでいた。
いただいてきた御朱印を見せてもらいながらお出かけできてよかったねとわたしは言った。

家族の用と遊ぶために仕事に行くことができるきょうのできごと。
それこそが教養(今日用)と教育(今日行く)だそうです。

舞台

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ひりひりする小説が好きだ。
葉太はお坊ちゃまだ。
自意識過剰だと一言で言えばすんでしまいそうだけどそんな悩みを抱えてきた。
子供の頃祖父の葬儀で祖父の亡霊が見えてそれが恐くて泣いたのが父にはいい孫を演じているかのように取られる。
父とて作家として演じてきたのだ。

時々演じていると感じる瞬間がある。
それをどこからか見ているもう一人の自分。
そのひりひりとする感覚が嫌いではない。
物事には超えてはいけないラインがある。
浮かれているとつい調子に乗ってしまう。
出しゃばらず卑屈にならずがいい。
だから相手が演じている時はあえて気付かないようにしている。
それを指摘されるのが何よりも恥ずかしいわたしだから。

父の遺産でニューヨークに旅立った葉太。
大好きな作家の新刊「舞台」をセントラルパークで寝転んで読みたいと思っていた。
それは叶わなかったけれど病床で父が読んでいた「地球の歩き方」をなぞって歩いていた。

出かける時には文庫本を一冊リュックに入れる。
老眼になってからは三種類の眼鏡が必要になった。
運転用(お出かけ用)に仕事用(パソコン用)に読書用。
そのために三種類持ち歩くのも面倒だから文庫本はお守りになりつつある。
無事に帰路に着いてから読むのだから持ち歩かなくてもいいと思いながらも10代の頃からの習慣はやめられない。

本屋さんにサラバ!の文庫本が平積みされていた。
もう一度読みたいしずっと手元に置きたい。
記念日に買っちゃおう。
まりりん

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