映画

もっと超越した所へ。

転がり込んできたのにプライドだけは高く命令はするし恩着せがましい。
自分の話を聞いて欲しくてマウントを取り肝心な時は逃げ人を見下している時点で器が小さい。
女たちは働いてお米を食べて産み育てていくと決めれば覚悟が出来る。
違和感を感じながらも我慢していると何も感じなくなってしまうか、たまりにたまったものが爆発するか。
この映画は元カレ元カノが入り乱れた舞台作品なのでキャラクターのクセが際立って面白い。
時間を戻したところでまたグズ男を引き寄せるけれどそもそもかわいさ余って育てたのも女なのだから期待しないのが一番。
…と超越してしまったわたしは老若男女が愛しくて仕方がない。

川っぺりムコリッタ

昨年公開予定が原作を何度も読み返してずっと待ち焦がれていた。
しちくろくじゅうさん
しちはごじゅうろく
しちしちしじゅうく

眠れない夜を山ちゃんは七の段を逆から唱える。
ムコリッタならぬムロリッタ。
それぞれ大切な人を静かに弔う。
この世とあの世があるとしたら今はその間の世。
64才は老後との間。
日常と非日常の間。
間の世をこうなったら漂ってみよう。
なかったことにも見て見ぬふりもどっぷり浸かるのでもなく。
まずは三食しっかり食べる。
草取りをして、散歩をして、本を読む。
山に登り映画を観てアートにときめく。
用事があれば行きは高速を使い帰りはカーナビで地道を走るけれど毎回違う道を教えてくれる。
今日はそうきましたか。

映画を観て丘に登り川っぺりをお散歩した。
台風にもめげなかった真っ赤な彼岸花が咲き乱れエンドロールのようにゆっくり過ぎていく。

photo 川っぺり

さかなのこ

「男でも女でもどっちでもいい」
ミー坊は絵を描くこととお魚が大好き。
勉強が出来なくてもひたすら好きなものを追い求めていたら子供の頃のお魚博士になる夢を叶えたさかなクン。
あまちゃんのアキ、すずさんの声、さかなクンのミー坊。
のんちゃんだからこその透明感は性別を越えて誰よりもイケメンで誰よりも優しい。
子供の頃タコを海で捕獲してお家で飼いたいとお母さんにお願いしている間にお父さんが頭を(頭足類は頭から足が生えているから本当はお腹)ひっくり返し中身を引っ張り出し地面に何度も叩きつけて足を焼いて食べるシーンは最高!
不良に絡まれても網の下着を脱がせてイカを捕獲してバタフライナイフを借りてお刺身を振る舞う。
ミー坊の変わらない好きが周りに影響力を与えていく。
さかなクンはミー坊の目標になるギョギョおじさんを演じていた。

チビッコの夏休みの読書感想文の課題図書で「タコとイカはどうちがう?」を読んだばかりでギョギョまーちゃんでもある。

親は子供のすきの最高のサポーターになれたらいいな。
人生を切り開いていくのは好きに勝るものはないのだから。

そしてわたしはそろそろ「おやまのこ」に。

アルピニスト

達成したこと自体が人生を変えるわけじゃない。
そこに到達するまでの旅が心に残る。
マーク・アンドレ・ルクレール

義妹が介護のピンチヒッターで遠路来てくれている。
感謝して小4のチビッコと映画デート。
字幕でドキュメンタリーで退屈かなと思ったけれど祈るように手を合わせて真剣に観ていた。
映画の晩餐はチュリトスにコーラのリクエスト。
言葉にするのは難しいけれど何かを感じてくれたかな。
チビッコと近所の裏山や近場の低山に登って小さな冒険にわくわくする気持ちや達成感を共有している。
「楽しかった」そう言ってくれるのが何よりもうれしい。
人はなぜ山に惹かれるのか?
その答えを見つけるためにまたお山に登ろうね。

アニメの神々の山嶺も迫力があったけれどそれを実写化したようなアルピニストのフリーソロはなんて儚く美しいのだろう。

ドライブ・マイ・カー

わたしは運転が苦手だ。
慎重過ぎて流れに乗れないことを自覚している。
真ん中乗りの高速道路の合流なんて正気の沙汰じゃない。
自分一人の為だったらまず運転はしない。
運転には人間性がでる。
よそ見する人はよそ見するし、
動揺しやすい人は危ういし…。
上手な人の運転は前だけを見据えて滑らかで安心感がある。

演出家の運転手として雇われた24才の女の子は制服のようにいつもオーバーサイズのジャケットを着ている。
長年丁寧にメンテナンスされた左ハンドルのマニュアル車は天井が開く。
口数は少なく感情を表に出さないけれどこの車を気に入っている。

娘と妻を亡くした演出家と父を知らず母を亡くした運転手。
残された者はプロとして仕事をして生きていくしかない。
妻の寝物語に続きがあったようにわたしの車も異国で走り続ける。

村上春樹 原作
濱口監督作品
まりりん

まーちゃん

月別アーカイブ
タグクラウド
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ