頼子は西湖の樹海を歩いている。
静かである。
対岸が茶褐色の溶岩だった。
樹林がその上に立ちそこから裾野の方まで果てしなく海のように広がっていた。
湖面は波一つなかった。
これほど孤独な湖を見たことがない。
正面の富士山は太古のままの火山だった。
(どこにも行けない道ってあるのね)
その静かな湖を見続けるうちに、急に湖面が罅のように割れてその底からぼんやりしたものが瞬間にのぞいたように思った。
この湖底に、白い塔が建ってるようだった。

わたしに白い塔が見えるだろうか。
波の塔はわたしが生まれた頃に書かれた松本清張の作品だ。
本屋さんでは見つけることが出来なかった。
もはや古典の分類にはいるそうだ。
図書館で予約するとすぐに回ってきた。

新人検事小野木は頼子に翻弄される。
人妻であり美しく上品ではあるが同性の目からは「けっ」でしかない。
夫には二人の愛人がいてその寂しさから誘惑しただけだ。
別れてくださいといいながら家を出る気も働く気もない。
被疑者になった夫の策略で新人検事は社会的に失脚される。
失脚した小野木との人生をやり直すならわかるけれど頼子は樹海へ向かう。

今年中に樹海を歩くのが目標だ。
そこには何があるのだろう。
それを確かめたい。
映画もお山もなぜか本が読みたくなる。
そのイメージとそこに立ったことでシンクロする風景に出会いたい。


徳澤園まで歩いた時に氷壁の宿と看板が出ていた。
波の塔同様に中学生の頃全集で読んだはずだけれど記憶にない。
一緒に歩いた方と読みましょうと約束していた。

小さな赤い点だけだったのでほっておいたら一週間経って刺された後が猛烈に痒くなってきた。
軟膏を塗っているけれどなかなか治らない。
(後日気がついた。温泉のあと浴衣に下駄履きで水辺に蛍を見に行ったんだった。)

井上靖の氷壁もわたしの生まれた頃の作品だ。
そこにも登山家魚津を魅了する人妻の美那子が出てくる。
その魚津に憧れる親友の妹かおるの存在もある。
昭和の社会派の文豪はたまたまなのか設定が似ている。
かおるは徳沢園で新穂高から雄滝雌滝そして穂高小屋から降りてくる魚津と待ち合わせをする。
そして遭難したのではと心配して涸沢を登る。

15分ほど樹林地帯を歩くと新村橋に出る。
その橋を渡らずに梓川の左岸にそって上流を遡る。
押出に出たら石の原で小休止。
断崖の横腹に造られた桟動を通り脱けそこから20分ほどで横尾にでる。
30分ほど樹林地帯を歩くと渓流に変わり屏風岩は偉容を現す。
さらに30分ほどで本谷の出合に到着。
大きな石がごろごろした急傾斜の道が上へ上へと伸びている。
出合を出て2時間、涸沢のヒュッテの建物の一部が丘の上に見え始める。
ヒュッテは北穂、奥穂、前穂に囲まれた盆地の真ん中にある。
その峻厳な穂高連峰に一瞬見惚れる。

一度目の上高地はバスターミナルから徳沢までを歩いた。
九月はその先の涸沢まで歩き続ける。
涸沢の山小屋で泊まり翌日はまた上高地まで戻る。
師匠という案内人に迷惑をかけないようにと気持ちだけは前向きだ。

井上靖も舞台になる山を登ったのだろう。
人の見ていないところで正直であることが山を登る資格なのだ。
お山にあるものはどんなに小さなものでも持ち去ってはいけない。
拾っていいのは人が持ち込んだものだ。
むしろ人のものを残してはいけない。
(お知り合いとお山の話で盛り上がっていたらドリップコーヒーなんぞでベテランぽいのにカップ麺のスープを捨てている人に遭遇したそうだ。)

上高地で熊除けの鈴を買ってきた。(熊さんの首が伸びて消音もできる)
お山に入る時に「お邪魔します。私も近づきませんから熊さんも近づかないでね。」という意味があるらしい。
きれいな音色に惹かれませんように。
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