山形国際ドキュメンタリー映画祭の上映作品が今週BS1で放送されています。

アキ・ラーはカンボジアで地雷撤去活動をしている。
その地雷は孤児だったアキ・ラー自身が少年兵の頃埋めたもの。

その地雷で手や足や目を失くした貧しい子供達を夫婦で20人も引き取り共同生活を送っている。
少年たちはアキ・ラーが大好き。
「アキ・ラーは障害があっても差別しない。」
少年達の笑顔がまぶしい。
お互いじゃれあい失くした腕や足をさすり「痛い?」と気遣う。
地雷博物館を公開し観光客に説明するのも少年達だ。

少年を預けている母親が語る。
「片腕でも生きていけるように勉強しなさい。」
幸せに自分の力で生きていって欲しいと願う母の気持ちは万国共通だ。

その案内看板にはカンボジア語と英語と日本語でかかれている。
団体旅行客のカメラに違和感を感じてしまう。
そこは観光地ではない。

ドキュメンタリー映画には根本に絆があり愛情がある。
だから笑顔をみせるのだ。
監督のまなざしを通しての感動があることに今さらながら気づかされる。

気持ちが通じ合っている写真は好きだし、芸術作品としての写真も好きだ。
でもそれが一人歩きするのはいい気持ちがしない。
ふっと写真は魂まで取られると忌み嫌う民族の話を思い出した。