2019年10月

ちはやふる

遅ればせながらGYAO!の期間限定でちはやふる1・2の50話を観た。
高校生の頃に宿題で覚えた百人一首。
その時は覚えるだけが必死で歌の意味までを味わう余裕もなかった。
そんなわたしが還暦を過ぎて記憶を呼び起こしながら小筆で書いている。
先生のお手本はすっと流れる水墨画のようだ。

真っ赤な紅葉が見たい。
黄色に染まった銀杏が見たい。
銀色にそまった葦が見たい。
遠くにいかなくてもお散歩しながら秋を感じよう。

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(画像をお借りしました)

先日しだみ古墳群を歩いてきた。
海から河で荷をあげてそこに人が集まり東谷山を向くように帆立貝式古墳が出来た。
市内最高峰のそのお山にもいつか登ってみよう。

ももしき(百敷)や ふる(古)きのきば(軒端)の しのぶにも
なほあま(余)りある むかし(昔)なりけり

千年前に昔と言うのだからそうとう昔の石積み。
それはこんな光景だったかもしれない。
それともすでに土に埋もれて一部分だけが露出していただけかもしれない。
お日様に石英が光り輝いている。
その当時の豪族の長よりも黙々とその石を積みあげた人たちの泥や汗や涙をしのぶ。
石は何も語らない。
でもたしかにそこにありそして今わたしも静かにここにいる。

82年生まれ、キム・ジヨン

精神科を受診したキム・ジヨン氏のカルテの形で物語が綴られる。
韓国では82年生まれの女性の中で一番多い名前だそうだ。
キム・ジヨン氏は父方の祖母と働く両親と姉と弟の6人家族で育つ。
韓国での姓は結婚しても変わらない。
だから祖母と父と母は姓が違い三人兄弟は父の姓を名乗る。
男尊女卑に年長者が絶対のお国柄。
家族の中で父が絶対でその次は弟、そして祖母、母、姉でキム・ジヨン氏。
それは徴兵制にも関係している。
大学を卒業しても就職は男性が優遇される。
日本でも医学部では女性の入学が操作されていた。
夫は結婚しても仕事が変わることはない。
共稼ぎでも育児も家事も手伝いの領域を出ることはない。
それでも少しづつ男性の意識が変わってきているのを感じる。
産む性である女性と男性が一緒だとは思わない。
女性にしかできないこと、男性にしかできないこと、男性も女性もできることがあるはずだ。
人にはそれぞれ器がある。
その器に水を注ぎ過ぎれば溢れてしまう。
心身健康でいてほしい。
仕事が好きで家族が好きで誰よりも頑張っているのを知っている。

この年になれば夫はご機嫌でそこにいるだけでいい。
育った環境の価値観は変わることはない。
期待することがないから失望することもない。
余計なことをするのもやめた。
言うべきことと言わないでいるべきことも穏やかに暮らすコツだ。
仕事も孫守りも実家の老親を訪ねることも自由にやらせてもらっている。
それだけで十分。
日常が普通に暮らせるのは有難いこと。

アルツハイマーと僕

カントリーの大御所、グレン・キャンベルのドキュメンタリー映画を観た。
アルツハイマーを患ってもツアーに出る。
それが本人の希望なのかはわからないけれど、好きな音楽の記憶は最後の最後まで残る。
観客の声援が髪の毛が逆立つようにぞくぞくするのか両手で頭をかいていた。
不安から怒りっぽくなりイライラして上手くいかないステージももちろんある。
それでも自分をさらけ出した奇跡のステージなのだ。
バンジョーを弾く娘さんのまなざしが優しい。
それを支えたのは母親の違う子供たちであり最後の妻。
なんて忍耐強いんだろう。

カントリーって?と聞くと演歌みたいなもんだよと答えてくれた人がいた。
その頃はロックに夢中でさらっと流してしまったけれど年を重ねるとそのよさがわかる。
派手なパフォーマンスもなく淡々と丁寧に歌っていることが心地いい。
打ち上げ花火のように終わらせる人もいるけれどグレンキャンベルはろうそくの炎がふーっと消えるように静かにステージを降りた。
子供たちの記憶の中でいつまでも陽気に生きつづけるにちがいない。

河口まで行ったど~

最近川岸を歩くのが大好きだ。
空が広く風が通り抜けそして静か。
無になって黙々と歩く。
ちょっと歩いてくると家を出て三時間(二万歩)で念願の河口までたどり着いた。
ここに(フラワーガーデン)以前バスで来たことがあると最後の橋を渡りながら気がついた。

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(画像をお借りしました)
潮見橋は天白川ではなく名古屋港

テレビでは台風の大雨で千曲川が決壊していた。
こんなに穏やかな川も牙を剥く。
堤防の高さよりも低い家が続きマンションでも三階の高さだ。
護岸補強工事が進んでいてところどころ通行止めになっていたので迂回のために住宅街に降りた。
そこに住む人たちの生活を想う。

工場地帯はお休みなのもあって人っ子一人いないし車も通らない。
ぞくっとする不思議な感覚だった。
そして人恋しくなった。
わたしは人が好きなんだなあ。
これからもわたしなりのやり方で一期一会を大切にしていこう。


追記
風が強く帽子が飛ばされそうなのでかぶらずにいた。
おまけに髪がぐちゃぐちゃになるし汗だくなのでおでこを出してピンで留めていたらおでこが真っ赤に日焼けした。
職場でどうしたのと驚かれ「そもそもお化粧はしないし、下地の日焼け止めを塗るにしても眉毛より下。」と答えたら「おでこは顔です。」と笑われた。
明後日は美容院の予約も入っている・・・。

同期のサクラ

いいです。
エンディングの♪さくら2019で不意に一粒涙がこぼれた。
夢に突き進む桜は社長と言えども忖度はしない。
ご機嫌伺いの社長賞にさえ異を唱えいいものはいいと言う。

桜がいいのはにわか仲間(同期のサクラ)であってもその人のいいところをちゃんと見抜いて賞賛している。
自分の意見は言うけれど決して人を悪く言わない。

わたしには後悔していることがある。
意見の違いで「次回を最後に今後会わない。」と言われ「まだ次回があるのに残酷だ。」と言ってしまったこと。
なぜ「わかりました。」とだけ言って引き下がらなかったのか。
意見が違うのは当たり前のことなのにわかってもらおうと言い訳をしてみたり思ってもいないのに謝ったり、
わたしには失いたくない大切な人でも潔い人にとってはすでにそうではないことを認めたくなかっただけだと今ならわかる。
残酷だと言われて気分がいい人はいない。
その言葉がブーメランのように返って来る。
残酷なのはわたしの方だった。

ブログをやっていればいろんな意見が跳ね返ってくる。
好意的なコメントばかりではないし辛辣な言葉もある。
もちろん悩むし傷つくけれどそれを覚悟でやっているのではと初心に立ち返る。
それが表現する(発信する)ことに憑かれてしまった性だ。
そうやってタグ打ちのホームページの時代から20年やってきた。
これからもわたしの足跡を残していこう。

さて今日も下校時間に合わせてリチウムイオン電池搭載の電動自転車に乗って孫守だ。
まりりん

まーちゃん

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