2017年07月

おかえり


schedule_narayoshitomo

奈良さんの講演会に行って来た。
二月に奈良さんの雪の青森犬を見に行きたかったけれど飛行機が飛ばずに泣く泣く諦めていたらなんと奈良さんの方から真夏にやってきてくれた。
人生なんてそんなものなのかも。
奈良さんはわたしより二つ下。
武蔵美に入学したものの海外放浪で学費を使いはたし次の年に県芸に入学したそうだ。
短大生だったわたしとは学生生活がすれ違うけれど学園祭に行ったことがある。
昨年たまたま県芸に行く機会があって当時の面影が残っていることがうれしかった。
最近は都心に大学が移転してきているけれど大学は交通の便は悪くても緑豊かな広々としたところがいいと思っている。
奈良さんは学生のころ大学の門のそばに野菜を育てながら小屋に住んでいたそうだ。
そんなアトリエの生活が今も続いているんだなあ。
パソコンの写真をスクリーンに写しながら「そうそう」と話す奈良さん。
なんだか小屋(アトリエ)におじゃまして写真を見せてもらいながら子供の頃からの話を聞いているみたいだった。
小学校の下駄箱に整然と並んだ長靴。
同じような物が整然と並んでいることに感動する子供だった奈良さんは今も変わっていない。

奈良さんの展覧会は先週の平日に観に行っていた。
ゆったり静かに向き合うことができた。
そこには奈良さんのルーツがあった。
たくさんのLPと子供の頃から集めた小物。
同じような音楽を聞いて同じような小物に惹かれていたことがうれしかった。
昭和30年代生まれは前半と後半で風大左衛門とドラえもんに分かれるそうだ。
いなかっぺ大将を知らない事のほうが不思議な気がするのになるほどと思い当たった。

奈良さんの描く女の子が好きだ。
口をしっかり閉じて目は口ほどにものをいう。
微笑んだり哀しんだり悪巧みをしたりきらきら輝いていたり。
奈良さんがいつのまにかアイドルになって遠い存在になってしまったけれどわたしには弟が帰省してきたみたいだった。
きっと奈良さん自身は恥ずかしがり屋でずっと夢見がちな少年のままなんだろうな。
「おかえり」
http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html

彼女の人生は間違いじゃない

人生に正解も間違いもない。
その時々で必死だったのだから。
みんな偉いんだ。

震災から5年。
彼とは上手く付き合えなくなった。
母親はいまだに行方不明。
土地を奪われた父親は保証金でパチンコ三昧。
そして彼女は週末ごとに高速バスで東京に行く。

最近のわたしの交通手段も高速バス。
乗用車より高い車窓から鉄塔を眺める。
まるで巨人が行進しているみたいだ。
福島で作られた電気を東京に運ぶ。
街に戻る頃には夕暮れからネオンに変わる。

http://gaga.ne.jp/kanojo/
彼女の人生は間違いじゃない。
そうつぶやく。
答えの出ない今。
わたしの人生も。


先日突然時計が止まった。
(お気に入りだったスワロフスキーがちりばめられたセラミックの真っ白な腕時計。
ほかっていたらなんと一ヵ月後に動き出した。
その後一度だけはめて外出したけれど今度こそ止まってしまったみたいだ。)
時計屋さんに行ったら電池切れではなく中が錆びているとの事。
生活防水ではお山での雨は対応できなかったようだ。
メーカー修理に8500円かかるとのことで直ってきてもお山には使えないしと諦めた。
その足でお山のお店で時計を新調した。
(ソーラーで高度計にコンパスまでついている。)
宝の持ち腐れと言われないように街歩きの相棒にもなっている。
わたしのお家は高度74メートル。
ブルゾンちえみのように振り返って「74」と言ってみた。
(後日 
あれ?今日は107メートルになっている。
気圧の変化や温度変化で変わるそうだ。
だから登山口や途中の看板をみて補正が必要らしい。)
お山を始めて標高が気になる。
http://www.gsi.go.jp/johofukyu/hyoko_system.html

還暦過ぎてどこへ行く

樹海   高橋延清

どろ亀さん
どろ亀さん
どこへ行く
クマザサこいで
峰こえて
還暦すぎて
どこへ行く
トドマツさんが呼んでいる
キネズミ(エゾリス)君が待っている
樹海の中に生きていく
樹海の中で生きていく

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雨音と川音で目覚めた朝。
ヒグラシを聴きながら沙羅の見えるお部屋。
大好きなお宿で珈琲を飲みながら詩を読みました。

還暦だからできること。
子供たちもなんとかやっていけそうです。
老親も穏やかな生活を送っています。
わたしも時々のピンチヒッターでお役に立ててバランスよく思うままに過ごしています。
ごたごたはもういいや。
所詮男と女、人と人。
違って当たり前だからお山のように距離感を大切にして一歩づつ。

還暦女優さんが動画を投稿している。
裏切られて傷つき悔しさが憎しみに変わっていく。
完璧な妻で母だった分ふり幅が大きい。
lineが流出したり映像で自分の言葉を主張できる時代になったんだなあとそのインパクトに空恐ろしくなる。
(わたしだって日々の愚痴をうんうんと共感してくれる女友達がいるから自制できているのかも。)
でもせっかく自由な時間が持てるようになったんだし体力的にも今しかないからもったいないと思ってしまう。
だから樹海の中を生きていく(行きていく)。

波の塔と氷壁

頼子は西湖の樹海を歩いている。
静かである。
対岸が茶褐色の溶岩だった。
樹林がその上に立ちそこから裾野の方まで果てしなく海のように広がっていた。
湖面は波一つなかった。
これほど孤独な湖を見たことがない。
正面の富士山は太古のままの火山だった。
(どこにも行けない道ってあるのね)
その静かな湖を見続けるうちに、急に湖面が罅のように割れてその底からぼんやりしたものが瞬間にのぞいたように思った。
この湖底に、白い塔が建ってるようだった。

わたしに白い塔が見えるだろうか。
波の塔はわたしが生まれた頃に書かれた松本清張の作品だ。
本屋さんでは見つけることが出来なかった。
もはや古典の分類にはいるそうだ。
図書館で予約するとすぐに回ってきた。

新人検事小野木は頼子に翻弄される。
人妻であり美しく上品ではあるが同性の目からは「けっ」でしかない。
夫には二人の愛人がいてその寂しさから誘惑しただけだ。
別れてくださいといいながら家を出る気も働く気もない。
被疑者になった夫の策略で新人検事は社会的に失脚される。
失脚した小野木との人生をやり直すならわかるけれど頼子は樹海へ向かう。

今年中に樹海を歩くのが目標だ。
そこには何があるのだろう。
それを確かめたい。
映画もお山もなぜか本が読みたくなる。
そのイメージとそこに立ったことでシンクロする風景に出会いたい。


徳澤園まで歩いた時に氷壁の宿と看板が出ていた。
波の塔同様に中学生の頃全集で読んだはずだけれど記憶にない。
一緒に歩いた方と読みましょうと約束していた。

小さな赤い点だけだったのでほっておいたら一週間経って刺された後が猛烈に痒くなってきた。
軟膏を塗っているけれどなかなか治らない。
(後日気がついた。温泉のあと浴衣に下駄履きで水辺に蛍を見に行ったんだった。)

井上靖の氷壁もわたしの生まれた頃の作品だ。
そこにも登山家魚津を魅了する人妻の美那子が出てくる。
その魚津に憧れる親友の妹かおるの存在もある。
昭和の社会派の文豪はたまたまなのか設定が似ている。
かおるは徳沢園で新穂高から雄滝雌滝そして穂高小屋から降りてくる魚津と待ち合わせをする。
そして遭難したのではと心配して涸沢を登る。

15分ほど樹林地帯を歩くと新村橋に出る。
その橋を渡らずに梓川の左岸にそって上流を遡る。
押出に出たら石の原で小休止。
断崖の横腹に造られた桟動を通り脱けそこから20分ほどで横尾にでる。
30分ほど樹林地帯を歩くと渓流に変わり屏風岩は偉容を現す。
さらに30分ほどで本谷の出合に到着。
大きな石がごろごろした急傾斜の道が上へ上へと伸びている。
出合を出て2時間、涸沢のヒュッテの建物の一部が丘の上に見え始める。
ヒュッテは北穂、奥穂、前穂に囲まれた盆地の真ん中にある。
その峻厳な穂高連峰に一瞬見惚れる。

一度目の上高地はバスターミナルから徳沢までを歩いた。
九月はその先の涸沢まで歩き続ける。
涸沢の山小屋で泊まり翌日はまた上高地まで戻る。
師匠という案内人に迷惑をかけないようにと気持ちだけは前向きだ。

井上靖も舞台になる山を登ったのだろう。
人の見ていないところで正直であることが山を登る資格なのだ。
お山にあるものはどんなに小さなものでも持ち去ってはいけない。
拾っていいのは人が持ち込んだものだ。
むしろ人のものを残してはいけない。
(お知り合いとお山の話で盛り上がっていたらドリップコーヒーなんぞでベテランぽいのにカップ麺のスープを捨てている人に遭遇したそうだ。)

上高地で熊除けの鈴を買ってきた。(熊さんの首が伸びて消音もできる)
お山に入る時に「お邪魔します。私も近づきませんから熊さんも近づかないでね。」という意味があるらしい。
きれいな音色に惹かれませんように。
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まりりん

まーちゃん

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