2017年05月

何とかなる

定年後三ヶ月の充電期間中のお友達のパパさん。
ドライブが大好きでお友達がお休みの週末はどこかに行きたいとそわそわしているみたいだ。
電車で行く計画を立てていたら松本に連れて行ってくれるとことになった。
いつも腰当を持参しているわたしを気遣って助手席に座らせていただいた。
(普段からお友達は後部座席に座ってる)

松本のクラフトフェアは出展が難しいらしい。
陶芸作家の妹さんも一緒で作家さん目線のお話も楽しんだ。
新緑のあがたの森はさわやかだった。

ミイの名言が好きだというお友達。
助手席で聞いていたらわたしもズキンとやられてしまった。
「何とかなる。それはやることをちゃんとやってる人のセリフ。」
そうか。やりもせずに何とかなるって言うのは何とかなるに失礼なんだ。
何とかなるで生きてきたわたし。
やることをちゃんとやってきたかどうかはともかくその時々でできることをしてきた。
今も綱渡りだけどそれでいいとしよう。(前向き)
「信頼でしょ。これが揺らいだらおしまい。さようなら。」
さすがミイだ。
mig

藤原岳ふた(り)たび

わたしはお山のことを知らない。
知りたいと思うからお山に登ってみる。

ゆっくりゆっくりな亀登り。
昨日は三時間目。
初めて初心者二人で先月登った藤原岳に行ってきた。
(先月は天狗岩に行き登頂はしなかった。)
前回はおしゃべりも出来なかったけれど今回はまむし草を見つけては楽しむことができた。
不気味な草だけどなぜか心惹かれる。
師匠からは手作りのにっこりマークのついたクッキーをいただいていた。
「行けた所がその日の頂上です。」と言葉が添えられていた。
師匠はけっしてせかさないし頑張れとも言わない。
燻し銀のように静かに見守ってくれている。
お山で食事を楽しむことも教えてもらったので早起きしておにぎりを作った。
寝坊したら作れないからと内緒にしていたらお友達も熱々の珈琲を準備してくれていた。

お山でいい関係が築けたら下界ではもっといい関係になるそうだ。
お山って正直にその人がでる。
師匠の三時間目の言葉は
「登りは体力、下りは技術」
その通りだ。
まだまだ体力不足。
九合目からが長くてまだかまだかと思っていた。
わたしはいつも一人でふわふわ歩いている。
きょろきょろと面白いものを探して歩いている。
そして怖いところではおっかなびっくりだ。
慎重を越して緊張しすぎている。
前回はそれで膝が笑ってしまったけれど今回はそれだけはクリアーできた。
下りのセンスがないから慣れるしかない。

下山したら駐車場にはお友達の車がぽつんとお留守番してくれていた。
それがとても愛しかった。
梅雨の時期には鈴鹿のお山はひるが出るらしい。
そして低山は暑くて日中は登れなくなる。
昨日は暑くて汗が目にしみた。
目も日に焼けるし汗の塩分で目が真っ赤だった。
その対策も考えなくては。
お山は毎回発見があり何かを気づかせてくれる。
藤原岳は花の百名山、秋にはどんなお花が待っていてくれるんだろう。

君の膵臓をたべたい

最近旅するお友達はここ十数年来の出会い。
それは偶然なのか選択なのか。
一人はお知り合いの妹さんのお友達だった。
一人は作家の講演会に行きホームページで同時期に記事をアップして知り合った。
お友達がお友達を呼びお友達になる。
わたしがそう選択しお友達もそう選択したのだ。
もしその時出会わなければ今頃お山に登っていないしアートの旅に出ることもなかったし秘境のお宿を楽しむこともなかった。
計画を立てるのに真ん中に入ってやりとりするのが面倒なのでラインでグループを作ったら仕事中にやりとりがされている。
そして
「まーちゃん寝ちゃったかな。」
「お風呂かな。」
「朝は早いからきっと連絡あるよ。」
なんてこともたびたび。

まーちゃんは孫が生まれてからのわたしの呼び名。
久しぶりに予定の無い木曜日。
今朝は下の孫を保育園に送ってきた。
年中さんになったから所定の位置にタオルハンカチやお便り帳を一人で置かなくてはいけない。
「できない」とべそをかくので一緒にやろうかと言っても「できない」とうずくまる。
先生が手助けをしてくれたのでそっと行こうとしたら「まーちゃん行かないで」と追いかけてきた。
「ちゃんとできるのを外から見てるね」とこちらまで涙目になる。

みんな選択して大きくなるのだ。
いろんな決まりを泣きながらこなして大きくなるのだ。
みんなの中で楽しむことも、一人で楽しむこともどちらも出来る子になって欲しい。
そしてそれをちゃんと選択して欲しい。


彼女の膵臓の病気を偶然知ってしまった僕は強制的に友達になる。
その彼女には親友がいて僕を目の敵にしている。
彼女の望みは僕と彼女の親友が友達になること。
出会いは偶然だったかもしれないし強制的であっても僕とは正反対な彼女と友達になるのを選んだのは僕だ。
「君の膵臓をたべたい」お互いが最後に送った言葉。

図書館からなかなか回ってこないうちに文庫が出た。
きっとお友達は君と呼ぶ時点で「けっ!」と言うだろう。

椿さん

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先週古川美術館に行ったときに見つけた椿さんのチラシ。
名都美術館でも椿の絵を見た。)
高北さんの椿を以前為三郎さんのところで展示した時には見逃していた。
見たいけど遠いしと思っていたらお友達がそこなら車で行けるとラインがきた。
願っていたら願い続けていたら叶うのがうれしい。
肝心な椿さんは大盤振る舞いでほろほろっとではなかったけれど楽しかった。
椿大神社はつばきおおかみやしろと読むらしい。
つばきだいじんじゃではなかった。
そこで白無垢と羽織袴のお守りを見つけた。
夫婦円満のお守りらしい。
結びの神様に次女の縁がどうか整いますようにと手を合わせた。
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鳥居をくぐったとたん気温がぐんと下がった。
凛として静寂が訪れる。
そんなのんびりとした日曜日。


お山の師匠からの手作り(手縫い)の袋に入ったお山の食器セットをいただいた。
二人の弟子のイメージで色合わせを見繕ってくれたらしい。
初めての給食の小学生のように登山一年生のわたしたちはぽこんぽこんと大きくなる食器にびっくり。
足腰のお守りも授かればよかったかな。

お山ではまむしも驚いてはいけないらしい。
富士山のすそ野で見つけたまむし草は茎がぞくっとするぐらいそっくりだった。
襲ってこないから共存ですよと言う。
お山でも下界でも共存が大事なのかもしれない。

ただのつぶやき

あのゲスの川谷くんがテレビに出演したらしい。
見たかったような見たくなかったような。

不倫をする人はそもそも反省はしないから何度も繰り返す。
一番守るべき妻を泣かせる行為だとわかっていても安らぎを求めたかったと言うだけだ。
自分が一番なのだからそれこそが生き様。
それを含めての魅力もあるのだろう。

妻だけならともかくそこに子供がいればそう簡単にけりはつけられない。
その点ではよかったかもしれない。
夫になり父親になれる男かどうかを見極めるのは難しい。
もちろんお互いが不倫であれば女にも同じことが言える。
妻になり母親になる人と、妻になっても母親になっても女の部分が勝る人と。
それは理屈でもなく環境でもなく生まれ持った性なのだと思う。

ただ悲しみの真っ只中でそれを秘めて乗り越えようと自ら行動している人もいる。
話し合いという名の一方通行。
信頼が途切れたとしてもけっして消えないくすぶり続ける感情があることを川谷くんは知ってるのかな。
詞を書く人だからこそ、歌を届ける人だからこそ、自己満足や自己陶酔ではないものが生まれるんじゃないかな。

まりりん

まーちゃん

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