2016年11月

この国の片隅に

ラジオから流れてくる坂本美雨さんの声が好き。
ふんわりとしているけれどひたむきさが伝わってくる。
ラジオを聞いた日は午後からのお仕事でひそやかに美雨さんになりきっているつもりだけれど誰も気がつかない。

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この国の片隅に」ののんちゃんの声が映画にぴったりだった。
すずさんののんちゃんの声もいいなあ。
ぽわんとした声もよかったけれど慟哭の叫び声はまさに女優だった。
本名を使えないようで大人の事情がありそうだけどずっと応援している。

映画は戦前の広島と呉のお話。
呉にはひいおばあちゃんがいた。
空襲で街が焼け野原になった時にはいち早く食堂を再開し、子供たちやその孫たちの教育や芸術に惜しみなかったそうだ。
二・三歳ごろわたしは呉に預けられていたらしいけれど記憶はない。
でもその頃映写機で撮影したふりふりのワンピースを着せられたわたしを夏休みに帰省するたびに見せられた。
定年後も働いていた祖母に代わり腰の曲がったひいおばあちゃんがわたしを背負い坂道をよっこら登っていたらしい。
その逞しく優しく自由なDNAが少しでも受け継がれているだろうか。

母を映画に連れて行きたかったけれど最近は歩くのも長く座っているのもしんどそう。
原作の漫画「この国の片隅に」をアマゾンで贈ることにした。
広島弁を読みながら母親をそして祖母を想うことだろう。
その時代その場所で日常を生きた人たちを一緒に思いはせてみたい。

悲しくてやりきれない

後妻業

映画は観損ねた。
本はあまりにもリアルで途中で気持ち悪くなって挫折していた。
先日それを乗り越えたて読破。
大阪に土地勘はないけれど綿密に調べ上げられているのだろう。
テレビドラマで校閲というのがあることを知った。
実際に時間や土地をめぐってみたら面白いだろうな。

業というのだからそれは生業。
先妻を亡くした男は後妻に公正証書を書く。
それは内縁でも成立するそうだ。
後妻業の内縁の妻は亡くなった元夫の家に住み(寡婦年金を受け取り時々通っていた。)
内縁の証として住民票を移し家具を搬入してご近所への顔出し。
男と女。
騙されているとわかっていてもそれぞれに思惑がある。
「面白うてやがて哀しき」が黒川ワールドの魅力。
せめて物語ではと思うのかもしれない。

義父の家に公正証書の書き方という本があった。
寸前のところで書かなかった義父。
父の部分がかすかに残っていたのかもしれない。

今日はいい夫婦の日。
テレビで漢字一文字で表すと「風」と答えたアナウンサーがいた。

湯を沸かすほどの熱い愛

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四日市港の夜景クルーズに連れて行ってもらった。
お友達の旦那さまがわたしの仕事先まで迎えにきてくれて夜遅くなるからと自宅まで送ってくれた。

コンビナートのライトアップは深夜も週末も働いている人たちがいることを教えてくれる。
煙突からもくもくと出るのは水蒸気で真っ赤なのは炎なのだろう。
外国船には金色の丸いタンクが光り輝いていた。
岸壁には明治時代の波消しの穴が無数にある。
ただきれいなだけではない長い年月の間には公害の爪あとも衰退もあった。
多くの人の営みも感じるから時に切なく時に勇気をもらうのだ。
お友達とはぐれたわたしは船のデッキの最後尾でたそがれていた。


銭湯の煙突から出るもくもくとした煙が好きで廃材を燃やす釜も好き。
湯を沸かすほどの熱い愛のラストは衝撃だった。
白い煙でも真っ赤な炎でもない。
ちょっとだけりりィさんも映っていた。

どんな母も母は母だ。
こんなわたしも死ぬまで母だ。
遺伝子は血の繋がりだけではない。
生きる意味こそが遺伝子なのだ。

先日娘のお世話になった上司が亡くなった。
仕事はもちろん子育てしながら家事をしながら勉強しながら働くすべを教えていただいた。
亡くなる一ヶ月前まで酸素を担いで仕事をされていて最後の二週間はホスピスにいたそうだ。
上のお子さんは結婚し下のお子さんも京都の大学に行かせ成人を迎えてもう大丈夫とほっとしていたらしい。
無宗教のお葬式はお経の代わりに死を覚悟した二年前に録音したその方の元気な声が流れていたそうだ。
「お経がないとすぐにお葬式が終わってしまうのでお話をすることにしました。
・・・これから世界中をただで旅してきます。行ってきます。」と。

会いたいけど会えないけど生きていく。
まりりん

まーちゃん

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