2016年07月

都と京

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お盆明けに京都に行く。
形から入るわたしが図書館で借りた一冊。
都は東京で京はもちろん京都。
中間にいる(ちょっと京都寄り)名古屋人としてはどちらも憧れだ。
子供の頃はそれほどでもなかったのに年々その奥深さに魅了される。

名古屋飛ばしという言葉がある。
行きたい展覧会もコンサートもスルーされる。
今日も日曜美術館でメアリー・カサット展をやっていた。
京都は秋かとそのすれ違いに地団駄。
日帰りも出来ないことはないけれど交通費を考えると躊躇してしまう。

それでもなんだかんだといいながらどってこともない名古屋に日常的な愛着を感じている。
京都や東京の大学に憧れながらもピンからキリまで大学はあるし兄弟が多ければ家計を考慮して自宅通学でと暗黙の了解がある。(もちろん高校まではできたら公立志向)
その分トヨタ系列でなければ就職は東京や大阪に出ることも多い。
結婚も派手だと言われるけれどそれは代々生粋の名古屋人や尾張人だけで価値観はいろいろ。
ちょっと外れてしまっても頑張っていればちゃんと見守ってくれる度量もある。

あたりさわりのない京都文化。
「考えときます。」と言うのは断りの言葉のようでわたしにはその空気が読めそうもない。
考えてくれてるんだと素直に待ってしまいそうで結局土壇場で断られてさみしい思いをしそうだ。
だから「えらいおあいそなしで。」なんて上級編はもっと使えない。
それでも京都人のように「そうどすえ。」と言えたらと物見遊山。

AMY

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エイミーを観た。
薬物に溺れ、お酒に溺れ、恋に溺れたエイミー。
破滅に向かう彼女は年増ではなく幼子のようにおびえていた。
本心しか歌わないと強気なエイミーの歌声だけは本物だった。
その歌声に魂を揺さぶられながら苦しくなった。
彼女はただ歌いたかっただけだし、愛されたかった。
有名人になり群がってくる人たちに崇められたり残酷なまでに落とされたり・・・。
逝き急いだ歌姫の人生の一端を知る。

寝苦しい夏の夜にエイミー・ワインハウスをゆったりとしんみりと聴こう。

赤レンガ建物

生前退位のニュースを観ながら同世代の実家の両親が気になりだした。
高貴な両親ではないから公務はないけれど連絡がなければないで心配になる。
熱中症予防のドリンクをもらったのでそれを口実に早朝家を飛び出した。
ホームで電車を待っていると携帯に母から以心伝心のように電話が入る。
今から行くからねと告げると電話は切れた。

美味しいお魚があるからお休みだし来ないかなと思ったらしい。
(定置網にかかれば魚屋さんに卸す前に浜で買える。)
昨日まで母は口内炎で食べれずずっと寝ていたようだ。
父はヘルペスがやっと治りかけてきたとのこと。
お互いの病状をこっそりわたしに報告する。
坂道を登ってきて暑いから冷房入れていい?と即し床に新聞を広げて読みふける。
時々体調は崩すけれど顔を見せれば無理にでも元気になる。

帰りは駅まで送るという高齢の父の運転を心配しながらもたまたま新聞で見つけた赤レンガ建物に行ってみたいとお願いする。
携帯でこっそり父を撮る。
父は父でお土産を買ってくれていて手渡してくれた。
明治の建物には爆撃機の弾痕が残っていた。

被災地で膝をつき慰問する姿勢は頭が下がる。
一度膝をついたら立ち上がれないと母は言う。
遺骨を土足で踏むことになるからと靴を脱がれていた話を戦地巡礼の硫黄島で聞いたこともある。
心穏やかに静かに過ごされることを望んでいる。

ふきげんな過去

ふきげんな顔の二階堂ふみちゃんはおじさんを手玉にとるいつものふみちゃんより好きだ。
幻想的な河川敷を船で進む。
果子と未来子は過去と未来だとエンドロールで気づく。
姪っ子が自然体でかわいい。

舞台調のセリフがどれもこれもかっこいい。
豆をむくシーンで女たちがどうでもいいことを好き勝手にしゃべる。
もう一度セリフを感じることができるパンフレットを買ってこなかったのが悔やまれる。

昨日は友達のカフェに一年ぶりに行く。
お客さん扱いをしてくれなくていつもご馳走になる。
今年はご主人が釣ってきた鮎を竹串にさして炭火で焼いてくれた。
昨年は竹の皮を剥いできたからと中華おこわをよばれた。
そしてブルーベリーの実を鳥のようについばんだ。
今年はまだ実が完熟してないから半月早いとわかる。
そうだこれ食べるとインゲンの煮浸し。
優しい味だったのでどうやって作るのと聞くと今夜の分作るからやってみようと三人でご近所でもらったというインゲンの先っぽをぽきぽき折り始めた。
こんなシーンの映画を観たよとわたし。

大量のインゲンを前に「食べ助け」の話になった。
田舎はみんな庭で野菜を作っていてそれぞれに得意分野があってそれをお裾分けするそうだ。
食べてと持ってきたくれたらありがたくいただいてちゃんとありがたく料理をして食べつくすのが食べ助け。
いい言葉だねと感心していたのに帰宅したらすっかり忘れていた。

家では波風立てないように静かにするーっと暮らしている。
ふきげんな毎日にもつぼがある。
人生ほどほど忙しいことと、うんうんとうなずいてくれるお友達の存在があればなんとかなる。

落ち着くところに落ち着いたようでまだまだ進化(老化)の過程。
柔らかな今は四十年前の部室での「ふきげんな過去」で出来ている。
まりりん

まーちゃん

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