2016年05月

旅をする木


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旅をする本というドキュメンタリー番組で星野道夫さんのことを知った。
星野さんの文庫本を旅人が次々に渡していくのだ。
その行程が裏表紙に書き込まれている。
地球を何周も回り、今も世界のどこかに存在する。

わたしもさっそく図書館で借りてきた。
落書き禁止だからもちろん書き込めないけれどこの本も名古屋市内の家を旅しているんだなあと思う。

星野さんは生きていれば団塊の世代。
あとがきによると熊に襲われて亡くなったそうだ。
もしその時熊と遭遇しなければと想いもするけれど人生は偶然の連続だ。

先日ランチをしたお友達が自分よりも若い友達が突然亡くなったけれどそれはちっとも理不尽なことではなくむしろよく生きたねと褒めてあげたい気分なのとつぶやいた。
そのころ旅をする木を読んでいたわたしははっと納得できた。
よく生きたねって言われる人生をわたしも目指したい。

旅をする木の章が好きだ。
早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、ついばみながら落としてしまうトウヒの種子の物語。
偶然を経て川沿いの森に根付いた種子はいつしか一本の大木に成長する。
長い年月の中で川は浸食されある春の雪解けの洪水にさらわれた大木は川から海へと運ばれて海流に乗り木のない海岸にたどり着く。
一匹のキツネがその流木に匂いをつけ、そこにヒトがわなを仕掛ける。
トウヒの木は薪ストーブにくべられるのだが、燃え尽きた大気の中からまた新たな旅が始まる。

まるでその流木こそがこの本だ。
星野さんの旅を時を経て読んでいる。

レモン柄

夏の昔お嬢さんは日傘を差す。
お気に入りの日傘を市バスに置き忘れたことをずっと根に持っている。
お母さんちょうだいと娘たちのところにお嫁にいった子もいる。

新緑の中、出会っちゃいました。
(お友達の妹さんが出展の飯田クラフトフェア
お友達のパパさんに連れて行ってもらいました。)
レモン柄の爽やかな日傘。
う~んう~んと悩み、うちの子になりました。
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にたにた喜びを隠し切れません。
この夏の相棒です。


昨夜は連れて行ってもらえるのがうれしくて一時間おきに目が覚めて遅刻する夢を見ました。
靴がない、靴下がない、財布がないと探しまくっているのです。
同僚が有休でお休みの時も夢をみます。
いくつになっても運動会や遠足前の子供のようです。

90歳珈琲の味

怒っとってもいかん。
泣いとってもいかん。
どうせ生きるなら楽しまんといかん。

きんさんぎんさんのぎんさんの娘さんの言葉。
定年後免許を取り90歳になって車幅の感覚が衰えて車を取り上げられた娘さん。
それまでは姉たちを誘い名古屋の街をドライブしていたようだ。
子供や孫に送り迎えしてもらうのは頼まんといかんからと最近は近所の喫茶店で姉妹で待ち合わせている。
90歳になってから覚えた珈琲の味。
そこでおしゃべりが弾む。

わたしも頼むのが苦手だ。
だけど便乗するのはありがたくて大好き。

母のお供で京都に行く。
足の悪い母が京都駅を降りたとたんに憑依されたかのように足取りが軽くなる。
ただし張り切りすぎてまたしばらく寝込むことになるのだけれど、それでもその一瞬の輝きをいいなあと思う。
大谷本廟で手を合わせて弟の転居先に立ち寄り日帰りで帰る母を送ってからわたしはお散歩に出かけた。

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人もまばらな毘沙門堂と夕暮れ時の山科疏水。
土の道はどれだけでも歩けそう。
視界が開けると街が金色に輝いていた。
翌日は疏水を遡り旬の湖魚(肴)に出会い、憧れの美術館をのんびりと楽しんだ。

あきらめる

ご本、出しときますね?を観る。
作家さんのトークが好き。

何もないところからお話を作り出すっててだけで尊敬してしまう。
山崎ナオコーラさんも好きな作家だ。
好きな言葉は「あきらめる」と語っていてますます好きになってしまった。
好きなものは「ワンピース」。
わたしと波長がぴったりだ。

ワンピースは楽でいい。
どれだけでも食べれる。
そしてちょっとよそ行きに見える。
毎年バーゲンの時期にお気に入りのお店で似合うかどうか試着だけはさんざんしておいたワンピースを買う。
ちょうどその頃には職場の懇親会があるので勝負服でもあるのだ。
でも一番の理由は今は太ってしまったけれど、もし痩せることがあっても着れるし、ちょっとだけなら太ってもゆとりがある。
わたしの場合はそこに「ゴム」も追加しておこう。
ただナオコーラさんの理由は違っていた。
「天才」がワンピースを着るからだった。
(ナオコーラさんのいう天才はのだめちゃんらしい。)

あきらめれば無理せずいられる。
あきらめれば次に進める。
あきらめれば期待せずにいられる。
こんなに身近にあった「あきらめる」がすごく魅力的に思えてきた。

愛と胃袋

家族と他人の違い。
それは相手の腹具合を心配しているかどうか。
作家角田光代が言った。
なるほどなあ。

息子が帰っていくときちゃんと食べてねと声をかけた。
次女にもちゃんと食べてる?と心配する。
喜んで食べてくれる人がいるから頑張ってるよという。
長女はわたしに似て食べることが大好きだから大丈夫だ。
子供たちにはちゃんと受け継がれている。

ただ食べればいいじゃない。
定年後そのあたりがまったくかみ合わない。
料理をしてもその横で賞味期限切れを気にせず買ってきたお惣菜を食べているのが最初はストレスだった。
でも最近では自分のために楽しめばいいんだと割り切れるようになってきた。
おいしいものの記憶の違いだけはどうしようもない。


まりりん

まーちゃん

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