洗面所の蛇口をおもいっきりひねる。
栓をして家を飛び出す。
あふれる前に自販機でジュースを買ってもどってこれるかどうか。
お風呂の蛇口をおもいっきりひねる。
栓をして家を飛び出す。
近所の小汚い中華料理屋でランチを食べてもどってこれるかどうか。
これは映画(インスタント沼)のシーン。
そしてわたしはもっとどきどきする旅に出た。
使われなくなった水力発電所のコックをおもいっきりひねる。
大きな水瓶から溢れ流れる。
そしてカウントダウンとともにザバッとひっくりかえる。
一瞬目の前の水しぶきが競りあがってくる。
どうでもいいことをおもいっきり楽しんでみる。
だからなんなのなんて野暮なことはなし。
それがいいのだ。
無駄の可能性のエネルギー。
面白がれる幸せ。
たくさんの元気をもらった。
下山芸術の森発電所美術館は大洪水
2010年08月
生きていれば104歳になる母親の遺骨を息子がリュックにいれて持ち歩いていたことが発覚したニュース。
先月義父をおくったけれど悼む前に葬儀社との打ち合わせにお寺さんへのお布施と現実が追っかけてきた。
「葬儀無用、戒名無用」ならかっこいいけれど、今は無事納骨を済ますことが出来ればと思っている。
100歳の高齢者と言えば子供も80代。
その現実は直系の孫や相続資格の無い甥や姪にまで及んでくる。
最近は枕元に火葬費用として数万円を封筒に入れ親族に文句を言わせないように公正証書でその旨を残すこともあるそうだ。
それまでに当然のこととして医療や介護費用がかさむ。
当事者になれば気持ちだけでは立ち行かない。
そうありたいけれど最近毒気のあるまりりんです。
こんちくしょうと思っているぐらいがパワーが出てちょうどいいのかも。
めんどくさいとつい謝ってしまう。
そんな時に若い指導者から
「間違っていないならわたしじゃありませんって言ってもいいんですよ。」
自信を持っても大丈夫ですから。」
そうやさしくフォローされると涙腺が緩みそう。
上司からもうちょっと働けないかと打診を受けた。
うれしい反面、今までのように気軽にお休みがとりにくくなる。
ありのままでいたことで流れがやってきてくれたのだけど家族とのバランスも映画を見たり友達と旅行に行ったりすることもわたしには大事。
無理がきかないこともわかっている。
今年いっぱい悩もう。
週末は連ちゃんでお友達ととにかく飲んだ。
まりりんのきれいな水は生中か・・・。
おしゃべりがわたしの毒を流していく。
ビヤガーデンから見上げる空。
毒は結局は自分の中にあって、それがゆるぎないものなら吐き出してみよう。
♪ Woman
甲子園の監督には教員監督と職業監督がいるそうだ。
公立高校の監督は遠征費も出ないボランティア。
チームが出来上がってきても転勤もある。
職業監督には教員資格はいらない。
ただ結果を出さなければ一年でくびもあるそうだ。
坊主頭で真っ黒な球児が大好きだ。
ここ最近は息子のように応援していたけれど孫のように思う日も近そう。
パリ20区、僕たちのクラスを観てきた。
先生の言い間違いには嬉々として発言する生徒たち。
人種の坩堝は生活環境も母国語も理解度も違いすぎる。
口語と文語。
そんな言葉を勉強してどうなると反発。
学級崩壊は他所事ではない。
それでも一年は過ぎていく。
きっと生徒達にとって懐かしい思い出になる。
自然体の生徒達の演技はドキュメンタリーのようだった。
あきらめないこと。
逃げ出さないこと。
これは教師の心得。
♪ 国語
SOSは出していたはず。
「いいから帰っておいで。」
それまでに何があったとしても親御さんのたった一言で救えたはずの幼子の命。
所在のわからない高齢者がどんどん出てくる。
三十年間家族からの捜索願は出されていない。
広島の原爆の日には朝の連ドラが遅くなったことで抗議があったらしい。
豊かなこの国の平和と家族の有り様。
クロッシングは脱北者の物語。
どんな逆境の中でも家族の絆はある。
ささやかな幸せもある。
やさしい北朝鮮の人は天国での再会を夢見て家族を想う。
食糧難で逃げ出せば収容所送りの自国もたとえ川を渡り脱北できてもそれを食い物にする外国人のブローカーも責めない。
約束を守れなくてごめんなさいとただ自分を責めている。
そこに監督の苦心が垣間見える。
生きるための中国での日本大使館への亡命、家族の安否を気遣う拉致問題。
そろそろ傍観者ではいけない。
♪ 明日晴れるかな
まーちゃん