2005年05月

渡さん月

月初めから渡さんの歌を何度か聞いた。
渡さんの詩って普通の言葉でぜんぜんよそ行きじゃないのにどうしてかっこいいんだろう。
自分の気持ちをありのまま語っている。
字数なんて気にしない。
ゆったりしたメロディー。

時にはその時代を風刺する。
皮肉っているわけでもないし褒めているわけでもない。
右でも左でもない。
ふらふらと真ん中を歩くあいまいなバランスが好きだ。

酔っ払って語る言葉はまるで吟遊詩人。
むきにならずにお気の召すまま行きましょか。

自転車にのって珈琲ブルースに立ち寄って三億事件や自衛隊をちょっとだけ茶化して系図を語り飄々としていた渡さん。

私の十代の頃の歌なのに色褪せていない。
今の混沌とした時代を渡さんならどう歌ったかな。

貴ノ花(二子山親方)が亡くなった。
昭和のヒーローがまたいなくなってしまった。
さみしい。

ピアノマン

最近世間をにぎわしているピアノマンではなく左手のピアニストの番組を見ました。
脳溢血で右手が麻痺し、日常生活には支障をきたさないほどに回復したのですがピアニストとしてはあきらめ絶望していた舘野泉さん。
それを救ったのは息子さんが見つけてきた左手のための楽譜でした。

左手だけで弾くメロディーはまるで教会音楽のように厳かです。
 
舘野さんの音楽人生は5歳の時。
音楽家の父親に手ほどきを受け英才教育ではなく音の世界の楽しさを教わったそうです。

自分の思いどうりの曲を弾き終わった時「気持ちいい、うれしい。」とつぶやきピアノに感謝し愛しそうにさわっていました。
まさしくピアノマンです。

中日新聞の社説にピアノマン(こちらは噂の)によせてこんな事が書かれていました。

どこの、だれで、どこへ行くのか。
何も語らず、何も求めず、過去と未来のはざまでひたすら鍵盤をたたき続けるイメージは無垢で、美しく、言いしれぬ望郷さえかき立てます。


「シャイン」をもう一度観てみたくなりました。
ビリージョエルの「ピアノマン」を聞いてみたくなりました。

*************

いつもおじゃまするsumikoさんのブログでミュージシャン占いなんてのがあってやってみたら私は「チャカ・カーン」でした。
当たってるとうれしいなぁ。

古風さと斬新な発想をあわせ持つバランス感覚溢れる人。
好奇心も旺盛なので、あらゆることに興味を持ち、知識を得ようとする。


チャカカーンって私が名前を知っているぐらいだからすごく有名人のはずだけど。
思い出したんです。
映画「永遠のモータウン」でソウルフルに歌っていた事を。
彼女の歌声が私の心の何かを響かせてくれるかもしれません。

太郎さんと敏子さん

岡本太郎さんを愛した敏子さんがたけしの番組みで取り上げられていた。
ちょっと前に本を読んだばかり。
こういう偶然ってすごく嬉しい。

敏子さんの愛情って突き抜けている。
まさしく次元が違うって言葉がぴったり。
時には神様のように崇め、時には飼い犬のように愛情たっぷりにあやす。
人と人、男と女だけではけっして語ることが出来ない愛がそこにはあった。

「五十年も少年と一緒にいたのよ。」
わくわく、はらはら、どきどきだったに違いない。

遊郭にも一緒についていったエピソード。
太郎さんが描く横で色を指示したエピソード。
人の名前をまったく覚える気がない太郎さんの横で通訳のようにフォローしていたエピソード。

芸術家太郎さんのプロデューサー。
哲学者太郎さんの代弁者。

片時も離れなかった二人。
夫婦にはならず養女になった敏子さん。

敏子さんの晩年は三十年前に描いた海外のレストランにあった壁画を日本に持って帰ることだけに情熱を注いだようだ。

太郎さんは絵を一枚も売っていない。
人の手に渡ればそれは太郎さんの絵ではなくなると思ったのだろう。

大阪万博の象徴であった太陽の塔。
愛・地球博には末代まで語り継がれる象徴はあるだろうか。
もし太郎さんが生きていたら傑作をのこしたかもしれない。

芸術は癒しであってはならないと言っていた太郎さん。
悲しみも苦しみも喜びも太郎さんには爆発なのだ。
そして敏子さんの愛も。
「太郎さん大好き!」
太郎さんそっくりに両手を広げたしぐさの敏子さんの声が聞こえた気がした。

世論調査

朝日新聞から世論調査の電話がきた。
コンピューターで無作為に選んでいるらしい。
「ご協力願えますか?」と聞かれたので「はい。」と答えた。
私の意見だと思ったからだ。
でも相手は子供の意見を聞きたいという。
私が受けたのだから私の気持ちで答えるのはかまわない。
小泉さんの事の様だったのでなおさらそう思った。

コンピューターはあなたではなく子供さんの意見を選んだという。
子供は外出していることを伝えると、明日でも明後日でもこちらから何度かけなおしてもかまわないという。
子供がその世論調査に答えたいのかどうかもわからないし、いない時に何度も電話をもらってもこまる。
アルバイトの人がマニュアルを見てオオム返しのように発言しているのだろう。

これが世論調査というものなか。
公正さ(その家庭の中で選ばれた有権者)を強調するのはわかるがそもそも家庭の電話はほとんど主婦しかとらない現状をわかっているだろうか。
なんだかすっきりせずにこちらの意向は伝わらないままに「失礼させていただきます。」というと「私はおかけするつもりはありませんがコンピューターが無作為で選んだのですから他の方がまたかけると思います。」と電話を切られてしまった。

なんだか釈然としないしいい気分がしないのはどうしてだろう。

勝手に電話をしてきて協力しようとしたらあなたの意見はいいと言われてコンピューターの無作為ってそんなに偉いんかい。
私が子供になりすまして発言したらどうなっていたんだろう。
ちょっと惜しい事をしたかも。←心の声

VAN

VANは高校生の私には憧れだった。
私立高校だったのでダサい指定カバンがあった。
指定カバンの中にみんなVANの紙袋をしのばせていた。

ダンナはVANのジャケットを持っていた。
すぐに着れなくなりしばらくは箪笥の肥やしになっていたがたぶん弟にあげたのだと思う。

アイビールックはわたしのおしゃれの原点。
最近の高校の制服はVANそのもの。
私と同世代の人が制服を選べばやっぱりその頃憧れたVANになるのは当然だ。

ご冥福をお祈りします。
まりりん

まーちゃん

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