つぶやきまりりん

「何とかなる。それはやることをちゃんとやってる人のセリフ。」ミイ

すみれ色の薬指

朝からきゅんきゅん切ない。
サヤに塗られた律の薬指。
すみれ色はサヤの11本目と主張していた。
すずめは言う。
「わたしがいつかマニキュアを塗りたいと思ってもすみれ色は選ばない。」

仕事柄マニキュアは出来ない。
お山に焦がれるまではペディキュアをしていた。
すみれ色持ってるし・・・。(紫苑色だからちょっと渋い)
朝のあわただしさの中で左足の薬指に塗ってみた。
サヤの気持ちもすずめの気持ちもそして律の気持ちも・・・。
わたしが受け止めた。

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「半分、青い」の上(文庫本)を先日帰省してきた次女に帰りの新幹線で読んでと渡した。
大河は見ていても朝ドラは見ていないと言っていたけどどうなったっただろうか。
素足の季節。

終わった人

すっと終われる人ともがき苦しむ人がいる。
そして終わった時から新しい一歩が始まる。

63歳定年の夫は出向先の役員だった。
そしてその最後の日だけは黒塗りの車で家まで送られる。
出世街道ならそれが日常だったはずだ。
あと二年は嘱託として窓際で残ることもできたけれどプライドが許さなかった。
ちょっと映画も気になっている。


家人は57歳で早期退職した。
再雇用の話もあったけれど再就職先の三時までの仕事にすっとシフトできた。
子供たちも大学を卒業し両親も看取りそこにたどり着いたのだろう。
揺るがずに終われたのは立派だった。

わたしは節約が苦手だ。
節約するなら働く。
こうでなければと決めることも決められることも苦手。
まあいいかと穏やかに暮らしたい。
家人にはそれがない。
独自の節約や規則が生きがいになっている。
趣味のサークルに居場所もみつけた。
それでもわたしが働いて好きなことをするのには何も言わない。
最近はそれがどんなにありがたいことかがわかってきた。

終わった夫婦も終わった仕事も悪くはない。
必要としてくれる時がきたらまた寄り添いたい。
それまでは上手にすれ違いができれば十分。
その時初めてお互いの痛みを知ることになるだろう。

雨に濡れた紫陽花がきれいだ。
義父が愛でた花が今年も咲いた。
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三十三回忌

母と祖母の三十三回忌の命日に京都に行って来た。
京都に降り立つと日曜日限定の出町ふたばの豆大福が売っていた。
当日しか持たないのでお供え分を買う。(そしてお経の後でベンチで頂いた。)

両親の三十三回忌はわたしにはできないなあと思う。
この調子で行けばわたしが百歳になってしまう。
祖母は親戚のお寺の納骨堂に入っているけれどすでに代がかわっているからつるべ落としの祖壇に入りたいと言う。
わかったよとわたし。
一人っ子の母はほっとしていた。

何度も訪れていたのに気がつかなかった西本願寺の富士山。
江戸時代からの修復の大工さんの遊び心があちらこちらにあった。
きっとこの廊下はわたしの宝物になるだろう。

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(母の足はかわいい)

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(母の好きなモネの池)

毎朝陽希さんの再放送をみている。
自分の決めたスケジュルにこだわりイラついていたのが宿のおばちゃんの一言で変わる。
「お山を楽しんでください。」「お鉢巡りをしてみてください。」
立ち止まって山を食事を人とのふれあいを取り戻した。

人生思いどうりにはいかない。
だからいくつになっても自分が変われることを楽しむ。
まりりん

maririnn_bb

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